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名古屋高等裁判所 平成8年(行コ)14号 判決 1997年7月25日

控訴人(被告) 愛知県教育委員会

被控訴人(原告) 藤村伸次

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決の「事実」欄の「第二 当事者の主張」の記載を引用する。

1  原判決九頁三行目の「いるから、」を「いる。そして、結核予防法は、結核の予防を図ることによって、結核が個人的にも「社会的にも」害を及ぼすことを防止するため、事業者及び学校の長に定期健康診断の実施を義務づけるだけでなく、定期健康診断の対象者は、それぞれ指定された期日または期間内に、事業者、学校の長の行う健康診断を受けなければならない、と規定する(同法第七条一項)。したがって、」と訂正する。

2  同三七頁七行目と八行目の間に次を付加する。

「六 控訴人の答弁

1 前記「五 原告の主張」の5中、前文部分は争う。

2 同(一)中、碧南市内の小中学校において県費旅費に関する経理内容が公開されていないこと、県費旅費の請求につき教頭新実坂夫に対する被控訴人の委任状が作成されていたこと、被控訴人が委任状の無効届を提出したことは認め、その余は否認する。

3 同(二)の事実は認める。

4 同(三)の事実は否認する。

5 同(四)の事実は認める。

6 同(五)の事実は概ね認める。ただし、副教材の配付は平穏に行われた。

7 同(六)の事実は否認する。

8 同(七)の事実は、一、二年生に対して、授業の一環として実施したとの趣旨であれば概ね認める。授業時間内に実施した本テストの監督業務は、職務として命じたものである。ただし、三年生については、任意に実施してきたものである。」

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因(引用する原判決記載)1ないし3の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  本件エックス線検査と被控訴人の受検拒否及び本件夏期厚生計画承認申請に対する不承認と被控訴人の欠勤等の経緯については、次のとおり付加するほか、原判決の「理由」欄の二(原判決三八頁四行目から四六頁三行目まで)の記載を引用する。

1  原判決三八頁八行目の「認められ」の次に「(当事者間に争いがない事実を含む)」を付加する。

2  同三九頁五行目の「再三」の次に「(同年五月一六日、一八日、一九日及び二五日から二八日までは毎日)」を付加する。

3  同四〇頁三行目の「地公法」の次に「三五条は、「職員は、法律又は条例に特別の定めがある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。」としていわゆる職務専念義務を定めている。そして、右職務専念義務の免除の手続については年休における届出制とは異なり、承認制が採用されている。ところで、同法」を付加する。

4  同四一頁六行目の「努めて」の次に「同年七月二一日から同年八月三一日までの」を付加する。

三  本件エックス線検査の不受検及び受検命令拒否の懲戒事由該当性については、次のとおり訂正及び削除するほか、原判決の「理由」欄の三(原判決四六頁四行目から七五頁七行目まで)の記載を引用する。

1  原判決四八頁九行目の「職員(以下」を「児童、生徒、学生及び幼児並びに職員(以下」と訂正する。

2  同五〇頁八行目の「この点に関し」から同五一頁一〇行目までを削除する。

3  同五四頁七行目の「そし」から同五七頁一一行目までを、改行のうえ、次のとおり訂正する。

「(四) そこで、右にみた学保法、労安法及び結核予防法の相互の関連性につき検討するに、右結核予防法四条四項は、「第一項の健康診断の対象者に対して労働安全衛生法、学校保険法その他の法律又はこれらに基づく命令若しくは規則の規定によって健康診断が行われた場合において、その健康診断が第一二条の規定に基づく省令で定める技術的基準に適合するものであるときは、当該対象者に対してそれぞれ事業者又は学校若しくは施設の長が、第一項の規定による健康診断を行ったものとみなす。」と規定しているのであって、右によれば、結核の予防について定めた一般法である結核予防法は、「結核の予防……を図ることによって、結核が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もって公共の福祉を増進することを目的と」して(同法一条)、前記事業者には、事業に従事する者に対し、定期健康診断を行う義務(同法四条一項)を、右健康診断の対象者には受診の義務(同法七条一項)をそれぞれ課したのであり、そして、右の場合において、労安法又は学保法において健康診断が行われ、それが結核予防法の技術的基準に適合するときは、右同法の健康診断を行ったものとみなすことにした(同法四条四項)ものであることが明らかである。それゆえ、前記のとおり、学保法自体には、学校設置者が実施する定期健康診断を教職員が受診すべき旨を定めた規定はないけれども、結核予防法七条一項に、右にみたとおり受診義務の定めがあるのであるから、結核予防法四条一項の健康診断の対象者である教職員は同法七条一項の受診義務を、更に労働者たる教職員は労安法六六条五項により健康診断受診義務を負うことは明らかである。そして、結核予防法は、前記のとおり、広く結核の予防を図ることにより、結核が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止して公共の福祉を増進することを(同法一条)、そして、学保法は「児童、生徒、学生及び幼児並びに職員の健康の保持増進を図り、もって学校教育の円滑な実施とその成果の確保に資することを」(同法一条)、更に労安法は「職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを」(同法一条)それぞれ目的として制定されていることから考えると、右各法は、それぞれに定める健康診断を実施することにより、受診者個個人の健康を増進させることはもとよりであるが、それにとどまらず職場環境、教育環境における各人の健康の保持増進を図り、快適な環境を形成しようとしているものと解される。したがって、右各条の受診義務の規定をもって、単に労働者(業務従事者)に対して、その健康診断による利益を享受する立場からこれに協力すべき責務を課するという観点から、これを受診すべき義務を定めたものとし、それ以上に、労働者(業務従事者)の職務上の義務としての右の受診義務を定めたものと解されないとするのは狭きに失するというべきである。労安法六六条五項但書は、受診者が他の医師による健康診断結果を証明する書面を提出しさえすれば、受診義務は免除されることとされているが、そのことは、受診義務を否定する根拠たりえないし、結核予防法及び労安法にはそのような定めは存在しない。そして、右労安法、結核予防法及び学保法に右健康診断受診義務違反についても罰則の定めがないが、そのことは、右結核予防法及び労安法上明記されている受診義務を否定する根拠になりえないというべきである。したがって、これら学保法、労安法及び結核予防法の規定に違反した場合に、地公法二九条一項一号に違反すると解することは相当であり、被控訴人が本件エックス線検査を受検しなかった事実は、地公法二九条一項一号に該当することは明らかであるというべきである。結局、この点に関する控訴人の主張は理由がある。

4  同五九頁五行目の「明らかである。」から同六〇頁六行目の「照らすと、」までを「明らかであるが、更に定期健康診断における検査が、実際上、受診者の身体に対し危険・有害である場合もありうると考えられるから、健康診断の項目ないしその検査方法も専門医学的な知見の進歩、発展に伴って見直され改善されていくべきであると考えられ」と訂正する。

5  同六一頁三行目の「あり、」から六二頁八行目までを「ある。」と訂正する。

6  同六二頁九行目から七五頁七行目までを次のとおり訂正する。

「(二) 胸部エックス線検査についての医学的見解等

証拠(甲第二ないし第五号証、第八号証の二、第二一、第二二号証、第二四ないし第二六号証、第七二ないし第七六号証、第八六ないし第九〇号証、第一〇〇、第一〇一号証、第一〇三、第一〇四号証、乙第一二ないし第一六号証、乙第二二ないし二六号証、乙第二九号証、乙第三一、第三二号証、乙第三四号証、乙第三五号証の二、乙第三六号証の一ないし三、乙第三七号証、乙第三八号証の一、二、原審証人山田真、当審証人山本正彦及び同古賀佑彦の各証言)によれば、以下の事実が認められ(甲第一〇五ないし一〇八号証)、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  胸部エックス線検査の結核の検査方法としての医学的有用性

<1> 従来、肺結核のほとんどが、肺尖部等の肺の上部に出現した病変がゆっくりと下方の肺全体に徐々に拡がり、慢性的に進行するものと考えられており、したがって、その肺尖部の病変を発見すれば結核の早期発見となり、その早期治療も可能となるとされていたため、胸部エックス線検査を実施することが肺結核の早期発見方策として最良の手段と解され、その見地から、世界的に結核の検査方法としてエックス線検査が採用され、これが年一回の集団検診として実施されていた。労安法六六条五項に基づく定期健康診断、学保法八条一項に基づく定期健康診断及び結核予防法四条一項に基づく定期健康診断においても、右の見地から結核の検査として胸部エックス線検査が採用されたものである。

<2> ところが、その後、肺結核についてそれが慢性的に進行するケースは老人に多く、四〇歳位までの患者では、短期間のうちに急速に進行し発病するラピッドケース(迅速発病例)と呼ばれる類型のものが多いことが認識され、しかも、このようなケースでは、その大部分が咳、痰、発熱等の呼吸器症状を訴えるため、医療機関で受診すれば、喀痰検査により容易に診断できることが分かってきた(ただし、平成六年における新登録患者の喀痰検査による結核菌陽性率は四二・一パーセントであって、未だ胸部エックス線検査に比して感度は低いものであり、喀痰検査をもって胸部エックス線検査に代替することまでには至っていない。)。そして、肺結核の発症類型として右のケースが少なくないことからして、胸部エックス線検査が肺結核の早期発見方策として効率的かどうかについては医学的に疑問であるとの見解もない訳ではない。

しかしながら、ラピッドケースでも右の症状のない者、症状があっても直ちに医師の診察を受けない者が現実には多数存在していること、定期健康診断を受けないと発見時重症ということになり、その場合、治療に難渋し、死亡率も高く、かつ多くの他人に感染させることから、最低限年一回の定期検査でも早期発見の有用な手段であることに変わりはないとする見解が一般である。

<3> わが国において、結核は、昭和二六年から三〇年間の間に、環境衛生の改善、結核治療学の進歩、個体の栄養状態・健康状態の改善等により、その死亡率が二〇分の一に、罹患率が一二分の一に、感染危険率が年間二・二パーセントから〇・一パーセントに減少したが、集団検診での患者発見率も〇・四パーセントから〇・〇一パーセントに減少するに至っている。

しかしながら、右の発見率低下は、結核発生率が低い小中学生等を対象とすることに由来しているし、昭和五六年ころ以降は、減少の速度が低下しているうえ、結核未感染の若年層の周りに多くの中高齢の感染があり、若年層は絶えず感染の危険にさらされていることが憂慮されている。また、わが国の結核罹患率は、最低のノルウェーの数倍で先進国中最下位であり、東欧諸国並みの状況にある。

(2)  胸部エックス線検査の危険性(有害性)

<1> 放射線とは、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線等、大きなエネルギーを有する粒子や電磁波の総称である。このような放射線に人体が暴露する機会としては、宇宙線や大気中等に存在する自然放射線による暴露以外に、人工的な放射線による暴露の機会が増大してきており、その中には職業上の暴露や人為的放射線による暴露もあるが、暴露の機会として大きな割合を占めるのは医学的な診断、治療の過程で受ける医療用放射線(エックス線)による暴露であるとされている。

<2> 放射線の暴露が人体に及ぼす影響には、暴露した本人に対する身体的影響と、子孫に対する遺伝的影響があり、前者は、更に、数週間以内に起こる急性放射線障害と、数年後に起こる晩発性障害に大別され、晩発性障害として、白血病・悪性腫瘍の発現、白内障等の組織に対する局所的傷害、胎児への影響、寿命の短縮が起こるものとされている。そして、このような放射線障害について、一定の閾値を超えて初めて障害が現れる場合を非確率的影響といい、白内障等がこれに含まれるのに対し、閾値が存在せず確率的に起こる場合を確率的影響といい、白血病・悪性腫瘍の発現や遺伝的影響が確率的影響として発生するとされる。このように、白血病・悪性腫瘍の発現及び遺伝的影響が確率的影響として生じ、その場合、閾値が存在しないために、低線量暴露、例えば胸部エックス線検査による暴露の危険を軽視することはできない。

<3> そのような観点から、国際放射線防護委員会(ICRP)は、制御できる放射線源から発生する放射線による暴露について、その損益を十分考えて暴露の価値があると結論付けられた行為に対し、線量制限の体系を勧告し、特に次の三つの項目を提唱している。

I 不必要な放射線暴露を避けること

放射線暴露によるリスクを上回る利益がない限り、その放射線暴露は不必要と判断されるべきであり、また、放射線暴露を伴わない他の方法で同じ効果が得られる場合には、その方法と放射線利用の方法の各利益と各リスクを相互比較していずれを選ぶかを決めるべきである。

II 暴露線量は、できるだけ低く保つこと

放射線暴露が不可欠なものであると判断され、放射線暴露を伴う行為を実際に行う場合、放射線暴露をできるだけ少なくする努力・工夫をしなければならない。

III 一定のレベルを超えて暴露しないこと

I及びIIの条件が満たされている場合でも、ICRPが勧告する一定のレベル(線量当量限度―実効線量)を越えて暴露してはならない。線量当量限度は、昭和五二年当時は一般人で一年間に五ミリシーベルト(〇・五レム)、昭和六一年当時は原則として一年間に一ミリシーベルトと改められ、平成二年には「連続するどの五年間についても平均一ミリシーベルト」とするよう提案されている。

しかしながら、右ICRPが提唱するように、放射線の暴露は最低限にとどめられるべきであるが、自然界からの放射線の暴露量でも、国連科学委員会によれば、年間約二・四ミリシーベルト程度であると考えられているし、ICRPの勧告する前記上限値は胸部エックス線検査(医療被曝)には適用されないものであるうえ、胸部エックス線検査の被曝による健康被害については、前記確定的影響は起こらないと考えられているし、確率的影響も考慮するまでもないと考えられている。

(3)  集団検診における胸部エックス線検査の実施を巡る動向

<1> WHOの第八回及び第九回専門委員会報告

WHOの第八回専門委員会は、昭和三九年、胸部エックス線検査の有用性に対する疑問及びその有害性に照らして、エックス線検査を中心とした集団検診が意味を失った旨の報告をし、昭和四九年には、WHOの第九回の専門委員会で右の第八回専門委員会の報告をそのまま確認している。

しかしながら、WHOは、平成三年五月の総会で、先進工業国における結核の減少傾向の停滞、発展途上国での増加を憂慮して、いわば結核非常事態を宣言し、その対策を強化したし、結核予防先進国である前記ノルウェーやオランダなどは、昭和五二年に学校の生徒達への集団検診を中止したが、教員に対する結核検診は継続している。

<2> 東京大学放射線健康管理学教授である吉沢康雄らの研究報告によれば、労働者の健康診断における胸部エックス線検査の放射線暴露によるリスクと、診断上の情報として得られたベネフィットを比較検討した結果、集団検診としての胸部エックス線検査は、四〇歳未満の年齢層の労働者を対象とした場合は、リスクの方が明らかに大きく、その実施は必ずしも正当化されない旨結論付けられている。

しかしながら、結核未感染者集団における結核患者は、集団感染をさせるおそれが極めて高いが、右のようないわゆるデインジャーグループについては、右の見解に触れられておらず、批判もある。

<3> 公衆衛生審議会結核予防部会は、昭和五六年六月一九日に「結核の健康診断の実施方法について」と題する答申を行ったが、そこでは、若年層の結核の罹患率の減少により定期健康診断による患者発見率は今後更に低下することが見込まれること、この若年層については、体力に自信があること等により医療機関等に受診する割合が少なく、定期健康診断による発見への依存度が他の年齢層に比べてやや高いこと、患者発見率の低下に伴い、健康診断におけるエックス線の利用についても、早期発見による結核予防上の効果と放射線暴露による危険とのバランスも考慮に入れながら検討を加える必要があるとして、若年層における定期検診の見直しを提言し、これを受け、昭和五七年には、学校保健法施行規則が一部改正され、結核の定期健康診断の実施が縮小された。また、右の答申では、「近い将来一九歳以上の者に対する定期の健康診断については大幅な見直しを行うことが必要になるものと考えられる。」旨述べられているが、それは「結核まん延状況は今後も改善が続くと考えられる」ことを前提としていることがうかがわれる。

学童生徒に対する胸部エックス線撮影は、従来年一回以上とされていたが、昭和四九年からは、小学生は第一学年だけ、中学生は第二学年だけとされ、昭和五九年からは、高校生も三年間に一回とされた。

公衆衛生審議会は、平成四年九月二五日、「結核の健康診断の実施方法について」と題する提言を行ったが、その中では、「現在、小・中学校における結核患者数は著しく減少し、定期検診による結核患者発見率も著しく低下し、発見される排菌性結核患者もほとんどいない。このような状況下では、胸部エックス線集団検診の持つ意義は乏しく、今後の方向としては、廃止することが望ましい。その際には、小学校一年生時及び中学校一年生時のツ反応において強陽性の者または医師が必要と認める者に対しては、精密検査を行うが、一律の集団検診で対応するのではなく、個別に適切な医療機関等での精密検査を行い、この結果は必ず把握する必要がある。」と述べられている。そして、平成四年には、小中学生の集団検診は、廃止され、ツベルクリン反応陽性の者に対し、エックス線の直接撮影が実施されている。

しかしながら、小中学生に対する集団検診廃止にもかかわらず、前記理由で高校一年生及び教職員に対する関係では従来どおり集団検診が維持されているし、少なくとも教職員に対する検診は今後も維持すべきであるとの考えが強い。

<4> 市教委は、本件処分時において、施行規則等に特に規定はないが、妊娠中の女子教職員、六か月以内に人間ドック等で健康診断をした者等についてはエックス線撮影の受検を免除していた。

しかしながら、右の前者に対しては、胎児への影響との関係で、議論があったのであるし(乙二三)、後者は健康診断時にエックス線検査が行われるのが通常であることによると推認できる。

(4)  以上によれば、胸部エックス線検査の有用性の範囲については医学的に見直しの意見が唱えられ、また、これを実施する結果必然的に生じる放射線暴露による人体への影響は最少限にとどめられるべきであるとし、世界的にも胸部エックス線検査による集団検診について見直しの機運があり、そのような動向を受けて、わが国でもこれを縮小して実施する傾向が生まれている状況にあることが認められるが、他方前記胸部エックス線検査を否定する見解等においても、いわゆるデインジャーグループについては、胸部エックス線検査を不要としているものではないうえ、定期健康診断において胸部エックス線検査を実施することについては、肺結核罹患の早期発見の見地からその医学的有用性が依然と存在するところ、エックス線暴露による人体への影響は零ではないとしても、ほとんど考慮するまでもないとされていることが認められる。

(三) そうだとすると、前示の被控訴人が、本件処分前に、過去のエックス線暴露歴が多いとしてこれ以上の暴露を避けたい旨の意思を表明し、労安法六六条一項の規定に基づく規則四四条一項等の規定によっても検査項目ないし検査方法の一つとして定められているところの「喀痰検査」を被控訴人が本件処分前に受検した旨を近藤校長に報告し、その後判明したその検査結果には異常がなかったという事情を考慮したとしても、前記事実及び前掲証拠によれば、(一)ICRPが勧告していた医療被曝(検診の場合を含む)を除外した線量当量限度(実効線量)は、本件エックス線検査時である昭和五六年当時は一年間に五ミリシーベルト、平成二年でも連続するどの五年間についても平均一ミリシーベルト」とされているところ、右勧告では線量当量限度の適用のない医療被曝に該当する本件エックス線検査に使用されたと推認できるレントゲン照射装置による放射線暴露(実効線量)は〇・〇三ミリシーベルト程度であったと考えられ、右勧告の線量当量限度に比較しても非常に僅かであること、(二)定期検診における結核患者発見率が著しく低下し、発見される排菌性結核患者もほとんどいないとして、小中学生の胸部エックス線集団検診の今後の廃止を提言する平成四年の公衆衛生審議会でも、罹患する結核患者数が小中学生よりも多数の高校生については現時点(平成四年当時)の廃止は適切でない旨述べ、現に、高校一年生及び教職員については胸部エックス線集団検診は廃止することなく当然継続して行われているところ、右当時よりも罹患する結核患者数が多数であったことが窺われる昭和五六年当時には、胸部エックス線集団検診の必要性は当然存在していたと推認されること、(三)被控訴人は自分が結核になると周囲の多くの人に結核を感染させる虞のある職業ないしは環境にある人々いわゆるデインジャーグループの教員という立場にあって結核未感染者であり感染可能性の高い生徒に接する生活環境にあること、(四)平成六年における新登録結核患者の喀痰検査における結核菌陽性率は四二・一パーセントで、その信頼性はそれほど高くなく、胸部エックス線診断に代替できるものではないこと等の事実が認められ、これらを併せ考えれば、集団感染を防止するために、結核感染の有無についてのエックス線検査は不必要とは認められず、本件において、被控訴人は本件エックス線検査を受検するよう命じた近藤校長の職務命令に従うべき職務上の義務があったというべきである。したがって、被控訴人が近藤校長の本件職務命令を拒否した事実は、地公法二九条一項一号及び二号に該当すると認められる。

4 本件職務専念義務と懲戒事由該当性について

被控訴人の本件夏期厚生計画参加承認申請についての近藤校長の不承認の経緯は、前記二認定のとおりであるところ、被控訴人は、同校長の不承認は、権限を濫用した違法がある旨主張するが、前記認定のとおり、(一)いわゆるはみだし部分についての愛知県小中学校長会及び愛知県教員組合の合意並びに碧南市小中学校長会及び碧南市教員組合の合意は、いずれも授業等に支障のないことを条件としていること、(二)参加承認についての専決権は各学校長が有し、校長会の合意に法律的に直接拘束されるものでないことから、参加を申し出れば必ずしも承認しなければならないものではないところ、近藤校長が、被控訴人の本件夏期厚生計画参加予定日には、被控訴人の社会科の授業が四時間、特別活動としての通学団会指導等が予定されているとして、これを不承認としたものであるから、右不承認が権限を濫用したものであるとは認めることができない。

四  判断の合理性逸脱について

被控訴人は、喀痰検査及び血沈検査を受け異常なしとの検査結果を得て、これを報告しているのに、本件エックス線検査を拒否したことを問責するのは、合理的許容限度を超える旨主張するが、前記のとおり喀痰検査がエックス線検査を代替するものではなく、本件エックス線検査の受検は必要であると考えられるから、右喀痰検査を受けたこと及びその結果を報告したとしても、本件エックス線検査を拒否したことに対し本件処分を行ったことは合理的かつ相当であったと認められる。

五  適正手続違反について

被控訴人は、地公法二九条に基づく懲戒処分は被処分者にとって不利益処分であるから、適正な手続の保障として、被処分者に処分とされるべき事実を告知し、その弁明の機会が与えられるべきであり、その手続を欠いた処分は適正手続に違反する旨主張する。

しかし、地公法上職員に対する懲戒処分をなすにあたって告知と聴聞の手続を要する旨の規定はないから、控訴人のする懲戒処分にあたって、被処分者に対し告知と聴聞の手続が常に権利として保障されているものと解することはできず、控訴人が懲戒処分をするにあたり、告知と聴聞の手続を採るか否かは、控訴人の合理的裁量に委ねられているというべきであるところ、本件処分の対象となった事実は、前記認定のとおり、前記各法律の胸部エックス線検査受検義務に反し、かつ近藤校長の発した胸部エックス線検査を受検するようにとの職務命令を遵守しなかったこと及び昭和五六年七月一六日の勤務時間の全部にわたり勤務しなかったことであって、(当事者間に争いがない事実)、控訴人が本件処分をするにあたり、被控訴人に告知と聴聞の機会を与えたとしても、それによって本件処分の基礎とされた事実の認定が左右され、処分内容に影響があったものと認めることはできないから、本件処分に際し、告知と聴聞の手続の履践を欠いたことにより本件処分が裁量権の濫用として違法となるものということはできない。

六  裁量権の濫用(動機の違法)について

被控訴人は、本件処分は、被控訴人が近藤校長の学校運営に関し異議を唱えた被控訴人に対する報復としてなされたものであり、処分権を濫用したものである旨主張し、原審における被控訴人本人尋問には右主張に沿う供述が存在するが、右供述のみをもってして右主張事実が証明されたとすることはできず、他に客観的に右主張事実を証するに足りる証拠はなく、右主張は採用することはできない。

七  結論

よって、被控訴人の請求は理由がないから、これと異なる原判決を取消し、被控訴人の請求は棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渋川満 遠山和光 河野正実)

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